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柏木トンネルを潜ってニ位宿へさしかかると「観音岩」の案内板がある
一週間くらい前の山形新聞に紹介記事があり、これは一見の価値ありと訪問
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絵になる茅葺の家が待ち構える
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慶昌寺の左を通りさらに山のほうへ向かう
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と駐車場あり。どうにか「普通車100円」の文字が読める。いったいいつまで有料だったのか
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駐車場からちょっと登ると、バーベキューの竈が完備
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たしか「弘法水」の看板があったような気がする
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西国三十三観音のいわれは、文化年間(1800年代)地元の戸田半七という宮大工が観音信仰に燃え、
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赤湯(現南陽市)から観音像を一体ずつ背負って安置したことに始まる。
昭和7年に彼の供養像が建てられている。
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最初の小祠
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ここで彼は出現したのであった
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上のコースを終えて下に下ってくると十三仏が見えてきた。近郷在住の信者から浄財を募り、昭和7年に安置されたとのこと。
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その左側の大きい岩にクライマックスの「延命観音」がそびえている
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左下の穴が「胎内潜り」で人間が通れるトンネル
変酋長がモデルになって人間入りの写真を撮って大きさのわかりやすい写真を撮っておけばよかった
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高畠町屋代地区出身の奥山良明画伯が、郷土の繁栄と、平和を祈念して、通称「塩岩」に一年がかりで昭和46年に完成
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高さ12m、幅4m、線彫りとしては他に類をみないものである
観音様の足元から撮影
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千畳敷-数十人が入れる洞窟で、縄文、弥生時代の土器が発掘されており、古代人の住居であったらしい
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また文久3年(1863年)屋代郷が、米沢私領になることをおそれた35ケ村の農民が、名主を中心に反対行動の密議を行ったところがら評定岩という名もある
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ので、変酋長もひとつ中に入ってみようかと思いきやコウモリがバタバタ!かなり大きいやつだ
したがって入窟はご遠慮してコウモリ写らないかと願いながらシャッター
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